Sunday, December 31, 2017

大晦日におけるハートとマインドの考察。

大晦日です。

今朝の瞑想です。



先日のセッションでクライアントさんへのメッセージに「自由への執着」という言葉があって、自分も共感したのです。

そしたら瞑想中にマインドが会話を始めた。

ふむふむ、あたしも自由に執着してるよな。
自由じゃないと幸せではない、という思い込み。
その思い込み故に、今度は人生の中の不自由なものを「悪し」として遠ざけてしまっている。
ほしいものに少しでも不自由さがあると、それはアンチ幸せだ!と認識するシステムが出来上がってしまっていないかい?
てことは、自由でもいいし、不自由でもいい、とすればいいのか。
ということは、幸せ自体も人生においては制限なのか?
幸せになりたい、と思っていたのが、いつのまにか「幸せでなくてはならない」になってしまっているかもしれん!
じゃあ、幸せでもいいし、幸せでなくてもいい、とすればいいの?

とまあ、このあたりで、これは無限ループにはまるな、と気づきました(笑)
一歩下がってこの思考の会話を観察すると、みえてきたのは、「ガイドラインがほしいねん!」
というマインドの声。

ほほう。そうか、マインドは、ルールが好きなんやな。
こんなときはこうする、っていうマニュアルが必要なんだ・・・・。それがマインドの特性かな。

じゃあハートは?とフォーカスしてみると・・・

いいじゃん~、そのときそのときで違うんだから、ルール決めたって、すべてには対応できないよ~あたしの感じ方は予測できないだろうし、あたしは自然で宇宙で、なんでもいいんだよ~

と、マインドがパニクる発言ばかり・・・(笑)






そう、ハートはルールがまったくなくて、自由で自然で、感覚的にはおそらく、ただの波動。バイブレーション。だから、良し悪しがない。そしてコントロールできないもの。


生きる上で、マインドとハートの役割分担というか、それぞれの特性を理解するのって大事なのかなーって思います。(って思ってるのはもちろんマインドのほうね)

この二つは、一つの「人間」っていう個体において、ものすごく性質の異なるものなんだなぁ。


二つともあって、わたしたちです。

そしてここで一番大事なのは、たぶん、マインドにおける色々なルール設定とか、選択っていうのは、全部私たちのコントロールの範囲内であるということ♪

ハートで感じたことは変えられないけど、そのあとの選択と行動は「変えられる」


なにかの気づきのキッカケになれば、是幸い。



みなさんそれぞれの大晦日を、そして2018年をお迎えください♡
2018年もどうぞよろしくお願いいたします(⋈◍>◡<◍)。✧♡



ヒーリングセッションを受ける前にぜひ読んでほしい

IHのセッションを提供していると、よく「ヒーリングとはなんだろう」とか「セッションの効果ってなんだろう」とか考えさせられます。

最近は本当にたっくさんのモダリティがあって、どれがいいのか、自分に合ってるのか、わからない人もたくさんあるはず。

最悪なプラクティショナーにあたってしまっても、それはあなたの選択だったと気づくプロセスでしかない。

弱っていて、もうなにも力がない状態だとしても、実はプラクティショナーを「選ぶ」という力を行使していることに気づいてほしい。(それって実はすごくパワフル)

IHに限らず、どんなセッションを受けるにあたっても、今から書くことは知っておいたほうがいいのではないかと思う。







メタファーが浮かんだ。


たぶん、大学生のころに読んだ江原啓之さんの本に書いてあったんだけど、


「人はみなダイヤモンド」みたいなことが書いてあった。


すっごくたくさんの面があって、磨かれている面もあれば、まだ原石な面もある。

みんなそれぞれ違う面が磨かれているから個性があって、魂の成長とは、磨かれていない面を磨いていくこと。

みたいなね。





セッションに来る人、悩んでいる人というのは、磨かれていない面と向かい合っている最中の人。

なんかセッション受けていまいち効果が(??)なときっていうのは、もしかしたら、セッション行って、あわよくばプラクティショナーに一面磨いてもらおう、という場合なのかもしれない・・・・(あたしもそうだったことが多々ある。多々!)

でも、プラクティショナーにできることというのは、その面を磨くツールのオプションを提示することくらいなのだと思うのです。

(つまり、磨いてあげますよーっていうヒーラーは要注意ですよん)

布で磨いてみる?研磨機とか使っちゃう?


と、そこにはオプションがあるということ。どれを使ってもいいということ。

どれを使うか決めるのはあなたですよ、ということ。



そしてそして、ここが最重要ポイント。


磨くという作業をするのは

あなた



あなたにしかできない作業。

そこが、腑に落ちるプロセスの、体感という部分。

自分で体感する=自分で磨く



だからIHでは最後に「このバランス調整が完全に統合したとき・・・」という一節が入るんだと思う。




さらにさらに、一回さーっと磨いたくらいじゃ輝かないんだこれが。

何度も何度も磨いて、つまり「練習」することが必要になってくる。


人生で、なんか同じ試練がくるなーというのは、そういうことなんだんじゃなかろうか。


えー、まだこれやるの?って行き詰ってる気がして、もやもや悩むこともたくさんある。


でも、それって、ただの練習中。

赤ちゃんが、ある日突然スタスタ歩き出さないのと同じ。




自己愛とは、そのプロセスを見守って寄り添ってあげられる自分のことなのでしょう。










セッションが必要だーって感じるときっていうのは、とても無力に感じるとき。苦しい時だと思う。

誰か助けて。
なんとかしてくれ。
もうだめだ。



本当にもうだめな人は、おそらくもうそこにはいません。

良くなりたいっていう「力」がそこには働いているということ、
誰かに助けさせる、ということさえ、「力」であるということ、
死ぬという選択肢さえも、「力」を要すること、

どんな状況にあっても、あなたには、その「力」の使い方、矛先の「選択」があるということを、知っておいてください。

人って、本当に本当に、パワフル




気づきの喜び

先月まで受けていたマインドフルネスのクラスの最終日のこと。

瞑想をしていたら、気づいたことがありました。


あぁー!気づくのってすっごく楽しいんだ!😍



瞑想したり、考え事をしているときに、ふとずっと疑問に思っていたことの答えがポーン!と思考として浮かびます。

たぶん、人によっては、それが映像だったり、音だったり、みんなそのメッセージの受け取り方はそれぞれなんだと思う。

私の場合は「思考」とか「アイデア」みたいな感じ。

ふっと、「わかった!」って思う。

それを私は「気づき」と呼ぶ。

人によっては、パッカーン(笑)だったり、ヒラメキだったり、思い出す、だったり、呼び方も色々。



てゆうか、気づくのが楽しい、なんてことは知ってたさ。

でも今回は、その気づきが愛おしかった。

自分が生まれてきて、やりたかったことの一つがこの「気づく喜び」なんだな、って思えた。

それなのに、今までは、早く気づきたくって、全部知りたくって、すっごくすっごく焦ってた。

あぁーなに焦ってたんだろなー
そんな焦って気づいちゃったら、残り楽しめないじゃん~!

って今回は思った。


今回のマインドフルネスでは共通して、そういう気づきが多かった。


焦らなくていいよー、今の一歩を楽しもうーっていう気づき。


それもね、知ってたんだよ?


「今を生きよう」とか「今しか生きられない」とか「今を楽しむ」とかさ。


いろんな人がそういう話をしているし、情報としてはとてもよく「知っていた」


そして「情報として知っている」だけでは本当に「知った」ことにならないことも知っている。

「体感として知っている」方の・・・ややこしいので、その場合は「腑に落ちている」としましょう。

そう、ただ頭で、知識として、情報として知っていることと、体感して自分で感じて経験して腑に落ちることは別物。

本とか人の話きいて「あー!そうだよねー」「なるほどねー」はただの情報。
その情報をもって、今度は自分で体感したときに本当に腑に落ちる。自分のものになる。

そこまでいかないと、次には進めない、(のかもしれない)。

情報ばっかりで分かった気になっている人の現実が変わらないのはそういうことなのかな。

私も然り。




とまあ、そんなことを考えていたら、セッションの効果ってなんだろうな・・・なんて考えだしたので、それはまた次回。