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Saturday, February 9, 2013

熊野三山での出逢い

去年の暮れ、3週間かけて日本と台湾に一時帰国していたときのこと。

2泊3日で行った熊野でとてもおもしろい出逢いがあった。

日常が忙しくてろくに計画をたてられなかったのだけど、ツアー会社をやっている母親に頼んで2泊3日くらいの、ハイキングとか自然とか歴史に触れあえる感じの小旅行の計画をお願いしていた。

母は熊野古道とか世界遺産だしいいんじゃない?といってホームページなんかを送ってくれていた。観光案内のホームページは正直ものすごくわかりにくくって、まったく土地勘のないあたしにはチンプンカンプンで(そもそも「新宮」ってしんのみや?しんみや?っていうレベル。しんぐうが正解。)一体どういう行程にすればいいのかわからず、白旗あげて母に「おまかせでーーー」と押し付けていた。

母のプランはこうだ。出発→伊勢→新宮→本宮→那智→帰路へ(うちは静岡)

そうっすか!とよくわからないまま出発をして自分なりに調べだしていくと母もよくわかっていないんだなということに気づいてしまった。それも後の祭り、お伊勢参りして(天照大神おがんで)伊勢で一泊までは良かったが、二日目の新宮からが問題。母は「熊野古道」というくらいだから新宮から本宮から那智とハイキングしていくのだと言った・・・歩いて1~2時間くらいじゃない?って・・・・ググったら片道徒歩7時間って出たんですが!?そんなんじゃ予約してる旅館に全然たどり着けない。絶望とストレスを感じながらもう後には引き返せないので新宮に到着してとりあえず観光案内所に助けを求めた。

そしたらこの行程だと道順になっていなくて、那智→本宮→新宮、と逆進行にしたほうがいいとのこと。交通手段はバス。熊野古道を歩きたいんだったら那智山の大門坂なら初心者向けで軽めでいいんじゃないか、とのこと。どうも母の言うように本宮から那智にいくには結局新宮に一度戻ってバスに乗らないといけないからだとか。

うがーと悔しがりながらもなんせ電車の本数が少ない地域なので時すでに遅し。諦めて次の本宮行バスの時間までたっぷり新宮をまわることにしました。速玉大社だけじゃなく浮島の森や新宮城跡、それに神倉神社なんかもまわってみることにした。




浮島に行ったあとで神倉神社へ。神社といえば階段(?)ですが、ここのはものすごい!538段のものすごく急なデコボコ石段を登っていく。ひとつ踏み外したりバランス崩したりしたら大変なことになる坂・・・・。

去年の10月から同僚とLa Jolla Beachで毎日坂の上り下りをしていたあたしはひょいひょいと旦那をおいて登っていく。旦那悔しそう。むふふ。いやぁー日々訓練していてよかったぁーとこの旅で階段や坂を登るたびに思っていましたね。ふっとい太ももは伊達じゃあありません!

登る途中もとにかく空気が澄んでいて、神社特有のあの空気、とっても気持ちが良くって、今書きながら思い出すだけで顔がにやけちゃいます。

神倉神社






登りきるとまた最高のご褒美が待っていました。新宮と海を一望!!絶景です。



景色を堪能してお参りをしてさぁー今度は降りますかと歩き出したらちょうど登ってきた若いお兄さんが声をかけてきた。「ご神体はそこの岩やで~お参りしたか?」って・・・

旦那はもちろんなに言われてるかわからないので「???」顔、なのであたしが翻訳して伝えたらお兄さん今度は「日本人かと思ったわ~!」というのでちょいちょいとアメリカから来ていてーと説明した。

「そうかーせっかく海外から来てるんやったら、ちょっと忘れられない経験させたろか?」

内心なんのこっちゃいと思ったけど、なんか面白そうなので、「はぁ・・・」と頷いてみた。

ご神体のゴトビキ岩へ続く急な斜面におもむろに腰をおろしてなにやらリュックからとりだすお兄さん。真ん丸のサングラスで、正体不明。なにか細長いものを取り出しながら「俺ねー郡司でね、プロなの」と笛をとりだした!ほほぅー笛吹!とあたしたちも座り込んで、笛を聴かせて頂くことにした。とっても素敵でした。澄んだ神社の空気とゴトビキ岩と笛の音・・・これは忘れられない経験になりました。



背景にあるのがご神体のゴトビキ岩




ご自分で作曲されてるんだとか。曲のことやら12月21日が誕生日で京都でレコーディングしてきたばっかりでーと色々とお話をした。12月21日のマヤ歴の終わりの日に誕生日なんだーと内心なにか繋がりを感じながら、なにやらCDをくれるという話になった!なので一緒に階段を下りてお兄さんの車へ。旦那がサインをねだったら「天才!〇〇〇(郡司さんのお名前)」と書いてくれた。おもしろい人だ・・・。

そしたら流れでCDをくれるだけじゃなくて彼が郡司になるキッカケをくれた神社に連れて行ってくれると言い出した。別に断る理由もないし、なにやら素敵そうな場所なのでひょこひょこ車に乗りこみました。

到着したのは神内(こうのうち)神社というところ。別名子安(こやす)神社というだけあって安産祈願の神社。神社に近づくときには大きなライオンの口の形をした岩が上空にせせりだしている。足を踏み入れた瞬間、郡司さんの言うことが納得できた。二本のたいそう古くからあるご神木や裏の緑がうっそうと茂った場所、そこでしばらく瞑想させてもらいました。この旅で一番心に残る、神秘的な場所でした。バスの時間が迫っていたので後ろ髪ひかれながらそこを出てお兄さんのおうちへ寄ってさらに何枚かレコーディングしたてのCDを頂いちゃいました。歌も歌っていらっしゃる、しかもアカペラで。


神内神社



ちょうどその日は満月で、夜には人を集めて「満月の夜になんかうまいもん食わしたろ会」を開くんだそう。良かったらどうぞ、1000円で泊まってっていいよ、と言ってくださいました。

いやぁー心揺れました。その夜の宿をすでに3万円でとってなかったら絶対行ってたなぁ・・・

アナログな人、ということで実名と住所を交換してお別れをしました。彼は今年あたり、彼自身が48時間つきっきりで行く熊野ツアーみたいなものを始めようとしていると言っていました。瞑想を中心にいらないものを落としていく旅になるんだそう。その旅ではもちろん神内神社のあの素敵な場所での瞑想も込み。いつかウェブサイトをたちあげたらぜひ紹介したいと思います。

そんなわけで、とてもおもしろい出逢いでした。ちゃんと綿密に計画を立てていたら、逢えなかった人ですね。郡司さんの勤めている神社が「阿須賀(あすか)神社」といって、うちの母の日本名が「明香(あすか)」だったり、なにやらご縁を感じるようなことがたくさんある出逢いだったのでした。すべては必然、ってことですよね。

近いうちに手紙(メールではなく手紙!何年ぶりだろう。)を書いて、許可を頂けたら笛の音もここで紹介できたらなーと思います。

Friday, February 8, 2013

IHとの出逢い

私とインテグレイテッドヒーリング(IH)との出逢いについて紹介したいと思います。

おそらく一番初めは、i-healingのあさみさんのブログとの出逢いなのではないかな。IH、キネシオロジー、健康、ホリスティックなどに興味がある人はもうすでに辿り着いているブログなのではないかと思います。

私もそんな一人でした。

当時はとにかく痩せたくて、人生いつもダイエット、みたいな状態でタンパク質中心のダイエット、咀嚼ダイエット、ご飯を中心に食べるダイエット、腰枕、朝フルーツダイエットなどなど・・・・・続けられそうなダイエットをひたすらやっていました(基本が三日坊主なので)。

そのころはローフード40%くらいを実践していたかな。

でももともと冷え性だったのがローフードにすることでさらに悪化して、一体全体なにを食べたらいいんだ!とネットで検索していたらあさみさんのブログに行きつき、まさに「ローフードは冷える」っていう内容の記事で、「あーやっぱりなー」と思いやめたんです。なにを食べたらいいのかさらにわからなくなり、そこで「人は一人一人違うのだから、体に合うものも千差万別で当たり前」ということを強く認識させられ、さらにキネシオロジーでそれをいとも簡単に知ることができる!?ということを知りました。

色々な人のブログでIHやキネシオロジーについて読んだりして、ついに自分も受けてみようかな、と思ったときはもう「砂糖、炭水化物抜きダイエット」中でした。これはもう朝起きてシャワー浴びてるともうフラッフラで・・・ボロボロでした。

あさみさんに紹介していただいたいずみさんがいるサンタモニカまではるばる、食品検査をしてもらいに出かけました。これは筋肉の反応をみてその食品が体を強くする(合う)のか弱くする(合わない)のかをみていくテスト。86品目の食品をひとつひとつ丁寧にみてもらって、結果私の体に合うものはたったの28品目・・・・そりゃなに食べていいかわかんないわけだよね・・・・。今思うと若いころから体型がコンプレックスで色んなダイエットしていて、知識で食事をするのが当たり前になっていたから、体はもう悲鳴をあげてたんだろうなぁ。

いずみさんがそのときのことをブログに書いてくれました。これが2012年の2月だからもうまる一年もたっちゃうんだなぁ。

そしてIHのセッションも受けました。お題は仕事のこと。そこからセッションが進んでいって、目標は「自分が感じた事を安心して素直に自由に表現する事」。その頃は本当に他人にどう思われるか、どう見られるかがあたしの物事の判断基準だったから自分の感情さえも人の目というフィルターを通してジャッジしていたんだねぇ・・・・セッションの直後にお手洗いで鏡を見たら顔色がグンとよくなって唇がピンクになってるのに驚いちゃいました。ただマッサージ台に寝ころがってお話していただけだったのに(たぶん泣いたけど)!

それからあれよあれよと、IHプラクティショナーコースまで受講して今に至るわけです。このお二方に出逢わなかったら今のあたしはないんだなぁ。





つづく?

Thursday, February 7, 2013

自己紹介

もう少し詳しい自己紹介をば・・・

日本人と台湾人の両親のもとに台湾にて出生。小中学校はシンガポールで過ごし、高校で初めて日本で生活。ハーフで帰国子女で「普通じゃない」「人と違う」「Fit inできない」がゆえに自分を好きになれず、さらに容姿にコンプレックスがあり自信がなかったので人が苦手で内向的になる。

大学は大好きな動物に関われる仕事をしようとアメリカはロサンジェルスへ単身留学。紆余曲折を経て卒業、Registered Veterinary Technologist(動物看護師)の資格を得て動物病院にて勤務。動物アレルギーでありながら大好きな動物と過ごせる仕事は本当に幸せで楽しい毎日。これこそ天職だと思いました。

そんななか現夫と出逢い、共にサンディエゴへ引っ越す。給料アップを求めて家庭のペット対象の動物病院から大学の研究に使われる動物をケアする部署に転職。人間に使われる動物が少しでも全うにケアされるように、とついた仕事だが、やはり根本的な価値観がマッチせず自分が本当にやりたいこと、この人生での使命はなにかを再度追究するようになる。

ダイエットを通して心身の健康について考えるうちにキネシオロジーやインテグレイテッドヒーリングと出逢い(ブログ参照)、今までいかに自分が西洋医学に偏った考え方になっていたかに気づく。もともと針や漢方など東洋医学で育った経緯もあり、改めてホリスティックに注目。IHやキネシオロジーを通して出逢ったたくさんの人の助けを借りて、少しずつ本来の自分を取り戻せるようになる。そして思考と身体の繋がりの深さを知り、心身共に健康であるためには、内をみつめることが大切であると悟る。

そんな経緯を得て、IHをもっとやりたい!もっと色んな人にハッピーになってもらいたい!と思い、ビジネスをスタートするに至りました。

"Leave the world a better place than when you found it." これは夫の言葉ですが、これが出来る時代がまさに今なのではないかと思うのです。そしてそんな素敵な変化の時代に生まれたこと、昔はどうも名前負けしているようで好きになれなかった自分の名前:美代子(美しい時代の子)と名付けられたことが今はとても幸せで嬉しく思います。