最近は本当にたっくさんのモダリティがあって、どれがいいのか、自分に合ってるのか、わからない人もたくさんいるはず。
最悪なプラクティショナーにあたってしまっても、それはあなたの選択だったと気づくプロセスでしかない。
弱っていて、もうなにも力がない状態だとしても、実はプラクティショナーを「選ぶ」という力を行使していることに気づいてほしい。(それって実はすごくパワフル)
IHに限らず、どんなセッションを受けるにあたっても、今から書くことは知っておいたほうがいいのではないかと思う。
メタファーが浮かんだ。
たぶん、大学生のころに読んだ江原啓之さんの本に書いてあったんだけど、
「人はみなダイヤモンド」みたいなことが書いてあった。
すっごくたくさんの面があって、磨かれている面もあれば、まだ原石な面もある。
みんなそれぞれ違う面が磨かれているから個性があって、魂の成長とは、磨かれていない面を磨いていくこと。
みたいなね。
セッションに来る人、悩んでいる人というのは、磨かれていない面と向かい合っている最中の人。
なんかセッション受けていまいち効果が(??)なときっていうのは、もしかしたら、セッション行って、あわよくばプラクティショナーに一面磨いてもらおう、という場合なのかもしれない・・・・(あたしもそうだったことが多々ある。多々!)
でも、プラクティショナーにできることというのは、その面を磨くツールのオプションを提示することくらいなのだと思うのです。
(つまり、磨いてあげますよーっていうヒーラーは要注意ですよん)
布で磨いてみる?研磨機とか使っちゃう?
と、そこにはオプションがあるということ。どれを使ってもいいということ。
どれを使うか決めるのはあなたですよ、ということ。
そしてそして、ここが最重要ポイント。
磨くという作業をするのは
あなた
あなたにしかできない作業。
そこが、腑に落ちるプロセスの、体感という部分。
自分で体感する=自分で磨く
だからIHでは最後に「このバランス調整が完全に統合したとき・・・」という一節が入るんだと思う。
さらにさらに、一回さーっと磨いたくらいじゃ輝かないんだこれが。
何度も何度も磨いて、つまり「練習」することが必要になってくる。
人生で、なんか同じ試練がくるなーというのは、そういうことなんだんじゃなかろうか。
えー、まだこれやるの?って行き詰ってる気がして、もやもや悩むこともたくさんある。
でも、それって、ただの練習中。
赤ちゃんが、ある日突然スタスタ歩き出さないのと同じ。
自己愛とは、そのプロセスを見守って寄り添ってあげられる自分のことなのでしょう。
セッションが必要だーって感じるときっていうのは、とても無力に感じるとき。苦しい時だと思う。
誰か助けて。
なんとかしてくれ。
もうだめだ。
本当にもうだめな人は、おそらくもうそこにはいません。
良くなりたいっていう「力」がそこには働いているということ、
誰かに助けさせる、ということさえ、「力」であるということ、
死ぬという選択肢さえも、「力」を要すること、
どんな状況にあっても、あなたには、その「力」の使い方、矛先の「選択」があるということを、知っておいてください。
人って、本当に本当に、パワフル。