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Friday, December 30, 2016

手放すってどういうこと?

アセンションの2012年~2016年。
Let it goとか手放すとか流行語大賞とるんじゃないかっていうくらい、スピ界では叫ばれました(笑)

そんな2016年もあとわずか!
あなたは手放しましたか?

ていうか、手放すってなによ!って思ってる人もいるかもだし、間違った手放し方してる人もいるかも・・・と思ってちょっと書いてみます♪

[って昨日ここまで書いてたら、今日のセッションで出てきたプロトコルが「自己制限的な信念の解除」だったので、なんともタイムリー♪]

そもそも、なんで手放すん?ってとこから。

私たちは生まれてから環境と経験を通して様々な「信念」を身に着けていきます。

生き延びる術として、スポンジのように環境や体験からずずずぅーっと吸収していきます。

お母さんがいつも苦労して「お金がない」って連呼してたら、「お金はないもの」という信念になっていくし、いつも苦労して頑張って働いていたら「お金は苦労しないと手に入らない」となる。

クラスのかわいい子がモテモテだったら「人は外見で判断する」が常識になっていく。

個性だして目立ってみていじめられたら「みんなと一緒じゃないと叩かれる」とかね。

信念って、コンピューターのプログラミングみたいなもの。パソコン開いてスイッチオンにすれば勝手に作動するんだ。

インストールしたプログラミングは、アップデートするまで、ずっと同じように機能し続ける。

時代が移り変わっていくのと同じように、環境も体験もどんどん変わっていくのに、私たちは同じ信念を作動させ続ける。

お?ちょっとアップデート必要かも、って気づくまで。

気づくときは、そう、誤作動してるような、トラブルが起きたときだ。

なんか違うぞ。

今までうまくいってたのに、なんかうまくいかない。

でも多くの人はインストールも、作動も、無意識に行われていて「自動操縦状態」なもんだから、誤作動の原因がなかなかみつからない。

そんなわけで、平たく言うと色々な誤作動の原因が「不要な信念」なわけです。

今自分が望む生き方には沿っていないプログラミング。

なので、書き換えたり、手放したりしたほうがいいよね。

じゃあどうしましょ。ってことになります。


信念を書き換えたり、手放したりって、どういうことだろう?

上のリンクで、あたしの古い信念として「時間にルーズな人はダメ」っていうのがありました。

つまり、「時間にルーズな人間はダメ」って思っちゃダメなんだな!

って昔は解釈してました(笑)

「ルーズでもいいんだー」

ルーズがダメってジャッジしてしまっていた自分がダメ!

とまあ、ダメにさらにダメをつけて、ダメの無限ループにはまります(笑)

そして、時間にルーズな人への怒りは消えるどころか形を変え増長していき、一体なにを間違えたのか!と自分を責めていく・・・w

手放すどころか、悪化。

( ̄Д ̄;)


ここで、エネルギーに注目すると解りやすくなる気がしました。

「エネルギーを注いだものが育つ」法則です。

リンゴとメロンを植えて、早く花をつけて実をつけて欲しいなら、心こめてお水やって、ってエネルギーを注ぎます。

エネルギー注いだフルーツが、たわわに実りますな?

てことで、自分の周りにフルーツがたくさんあるのをイメージしてみてください。

目の前に、スイカとメロンとオレンジとリンゴ・・・・

例えばこのフルーツたちが一つずつ「信念」だったとします。

スイカは「私は愛されている」

メロンは「時間にルーズはダメ」

オレンジは「努力すると報われる」

リンゴは「私は仕事ができて、認められている」

エネルギーを注いだフルーツ(信念)があまぁーく育っていきます♪


例えば私は現時点で、どのフルーツも「自分に役立つもの」だと思ってるのでがっつりと腕に抱え込んでいるとします。

リンゴとはいえ、多少の重さはあるので、抱えるということでエネルギーが生じますね。

抱えているフルーツは甘くなっていきます。

でも、最近になってメロンはおなか壊すのでもういらないと決めたので「手放したい」と思ってゴミ箱へ捨てにいくことにします。

ここで、ゴミ箱まで行ってポイする、というエネルギーが生じます。

抱えることとポイすること、どちらもエネルギーが生じる・・・。

抱える方は「役立つ、良い」としていて、ポイするほうは「役立たない、ダメ」。

評価はまったく逆だけど、どっちもエネルギー量としては実は同じくらい。

エネルギーを注ぐという行為が、そのものを育てるんでしたね?

つまり、抱えるにしろ、ポイするにしろ、実は両方にエネルギーを注いでる・・・・


( ̄Д ̄;)


でもメロンは手放したいの!



ゴミ箱へ捨てにいく代わりにまったくエネルギー使わず「手放す」方法はなんでしょうか?



答えは


手をはなす


そう。

手放す。


なんのエネルギーも使いません。抱えていた手をパッと放すだけ。

誰もわざわざゴミ箱や自分から遠いところにポイしてこいなんて、言ってません^^

どっかにやってしまおう(=これはダメだ!)という行為自体がエネルギーを注ぐことになってしまって、メロンは育ってしまうんですね~~~

メロンはすぐそこに転がっていてもいいんです。

あなたがエネルギー注いでつかみにいかなければ、そこにあろうとなかろうと、いいんです。

先ほどのダメダメループは、いわば、捨て場所探しに悪戦苦闘しているようなもの(笑)

おっと、今日は生ゴミの日じゃなかったからメロン回収して、次まで待たなきゃ。とか、小さく刻んで肥料にしたほうがいいかな、とか。。。

さっさと手放したいものに、えっらいエネルギー注いでしまってるわけです。

ちなみに手放したメロンはもはやそこにあってもなくてもいいわけなので、時間にルーズなのは「良い」でも「ダメ」でもなくなるんですね。どっちでもいいんです。

時間にルーズな自分でもいいし、ルーズじゃない自分もOK。必死で抱えたり、ポイしたりしてない状態^^

これが「楽」


フルーツをつかむも手放すも「自由」


ちなみに、

必死でつかんでる状態っていうのは「執着」だったりします。スイカ持ってない自分は自分じゃない、とか。

(o ̄ー ̄o)


(究極は手放すかどうかも、どっちでもいいんだけどね・・・でも物事には順序とかプロセスってのがあるので。今日は手放す前提のお話。でした。)

Wednesday, December 28, 2016

細胞ちゃんのお話。

なんかね、潜在意識と顕在意識のお話ってよくあるじゃない。

私たちが意識的に考えたり思ったりしている顕在意識の部分って実はほんの5%未満くらいで、残りは潜在意識が~・・・ってやつ。

Integrated Healingはまさにその概念の上に成り立つヒーリングで、筋反射(バイオフィードバックシステム)を使って、その潜在意識の声を拾って不要な信念を掘り出して手放しましょう~って。

でも、この顕在意識と潜在意識の感覚って、実際、わかりますか?今ここにある自分の意識が実はほんとはとってもちっぽけな一部分でしかないって、感覚的にはどういうこと?ってよく考えるんだよね~

で、最近好きでよくやってる考え方があるので、ちょこっと紹介♪

それが細胞ちゃんのお話でし。

もし顕在意識の私たちがちっぽけで、宇宙とかハイヤーセルフとか大我とか、なんか色んな名前で呼ばれているでっかい部分ってなんなんだろう?って不思議に思っても、それって解り得るものなのかな?それがわかりたくって、でもわからないからみんな悩んでるんじゃん?

「あなたは潜在意識では実は拗ねているんですね~」なんてプラクティショナーに言われたってさ。顕在意識はそう思ってないんだから、わからんよね(笑)

で、あたしのイメージではこうなんです。

もし、私たちの体中の細胞ひとつひとつがイチ人格だったら!?

キッカケは大腸に住んでる数億のバクテリアさんだったんだけどね。腸内環境って大事っていうじゃない。

大腸っていう場所でコロニー作って住んでいるバクテリアさんたち。色んなタイプのバクテリアさんがいて、それぞれ違うお仕事してる。腸に運ばれてくる食べ物の質によって、死にゆくバクテリアさんたち、生き残るバクテリアさんたち。

自分の食生活を顧みたときに、あたしはこのバクテリアさんたちに食べ物を与えているんだっていう感覚を持つことで、意識が変わってきた。どのバクテリアさんたちにたくさん住んで欲しいのかなってね(笑)エネルギーを注いだものが生き残る、これもひとつの宇宙の法則ですね^^

同じように、自分の身体中の細胞ひとつひとつも擬人化してみた。

足の小指の細胞ちゃんは、果たして自分が足の小指だってことを知っているんだろうか?身体全体のことを知っているんだろうか?

もしも、小指の細胞ちゃんが産まれたときに、「心臓の細胞君はとっても重要でねーえらくてねー」って刷り込まれていたら、小指の細胞ちゃんは「わたしも心臓の細胞になるんだぞ♪」って夢を抱くのかな。

(これが私たちが持っている様々な信念。環境や経験によって生き延びるために刷り込まれてきて、これらの信念に基づいて私たちの行動や思考は自動操縦状態になってたりします。)

夢を追い続けて、疲れて、たどりつけない自分を責めたり、嫌ったりするのかな。

(「こうであるべき~」とか色んな枠を自分で無意識に作って、そこにはまらない自分に「ダメ」のレッテル貼ったりね・・・)

もしかしたら病気になって、がん細胞とかになっちゃったりするのかな。

もしそうなっても、小指の細胞ちゃんは、自分が本当は小指の細胞で、かけがえのない存在で、自分がいなかったら身体はとても不便で、ってこと知ってるのかな。

がん細胞みたいになって苦しくなってようやく自分をみつめはじめたときに、「うわぁーわたし真っ黒け!」ってもっと自分責めて、もっと自分嫌いになっちゃうかな。

(自分をみつはじめると、最初はえらい失望する・・・こんなハラ黒かったんか?こんなに嫌な奴だったんか?って。でもそれも環境や経験から身に着けてきた信念の延長にあるものだったりして、実は本当の自分じゃないことが多い。)

本当はがん細胞でもなくって、心臓の細胞でもなくって、「足の小指の細胞」っていう自分に気づくのにどれくらいかかるだろう?

(自分らしさとか、ありのままの自分とかってやつ。)

「あたし」がその小指の細胞ちゃんをじーっと見守っていると、なんとなく、ハイヤーセルフが今のあたしをどういう風にみつめているのかが、わかるような気がしたんだ。

あたしから見たら、細胞ちゃんが足の小指の細胞であることは明らかなんだけど、細胞ちゃんはあたしのことすら、たぶん知らない。

「声」は届かない。けど、大丈夫だよーってずっと見守ってる。だって、小指の細胞であることは最初から明らかなんだもの。細胞ちゃんには見えないんだけどね・・・

それにね、自分が何者かに気づこうが気づくまいが、それまでも、これからも、細胞ちゃんはずっと足の小指の細胞ちゃんだったんだよ。