昔から「心配性」でした。
愛犬のこと、夫のこと、自分の将来のこと・・・
色んなことを「心配」して、負の結果を怖れて、いわゆる「石橋を叩いて」・・・・渡らないタイプでした(笑)
母もとっても心配性。
「心配」が「愛情」だとさえ思っていました。
自分の心を配って、その人のことを想うのが、愛だって。
でも、目に見えない世界を探求するようになって、エネルギーのことを前よりわかってきて、変わりました。
「心配」の根っこには「恐れ」があります。
恐怖に根付くエネルギーを発していると、引き寄せの法則ですから、同じものが引き寄せられる。
「相手を想って」心配するのが「いいこと」かのように思っていたけど、ぜんぜん違った。
その人の「真の力」を信用できないが故の「心配」
(ここでいう「力」は生命力とか、才能とか、魂の力っていう意味)
あぁ、この子はまたやっちゃう、また失敗しちゃう・・・・
って、勝手にイメージしてる。
これがすっごく相手に失礼なことなんだなぁーってずいぶん前に気づいて・・・・
今は相手の「内なる力」がキラキラ輝いている状態をイメージするようにしている。
そう、相手の力を奪うんじゃなくて、力が湧き出る、溢れ出すイメージ。
彼のエネルギーが、愛が満ち溢れて、彼らしさを存分に発揮している姿
彼女が大好きなことをしてわくわくしている姿
そして、自分も。
自分のダメなとこ、まだまだなところを指折り数えるのではなく、
自分のいいとこ、もう持っているものに焦点をあてる。
そうすると「感謝」がわきおこる。
愛の連鎖がつながっていく
私が心を配らなくても、みんなにはすっごい力がある。
みんなが自分の力に気づいて、発揮する時代。
「美」しい時「代」の「子」。(私の名前^^)
そんな時代に
今に
ここに
在ることに
多謝